「目を覚まして生きる」  04−02−01
                 ルカ12:35〜48

 地上の生活を終わる死の時も、イエスさまが再び来られ地上の世界が終わる
終末の時も、私たちは、それがいつなのかを正しく知ることは出来ません。
 主は、そんな私たちに、いつ終わりの時を迎えてもよいように、目を覚まして
いなさいとおっしゃいます。
 目を覚ましている生き方とは、どんな生き方でしょうか。

 第一に、主は、いつ主人が帰ってきてもよいように準備をしながら家で待っている
(しもべ)の姿(35〜36節)を示されました。それは、自分のためでなく主人のために
心を配る僕です。 「イエスさまのために」という視点を持っている人です。
 自分のためでなくイエスさまのために…。このことは、自分が損をしたり失ったり
することではありません。主がもてなしてくださることにつながります。もてなして
くださる主に期待しつつ、主に心を配って生きることです。

 第二に、隣人に心を配る姿(42〜46節)を示されました。
 マタイによる福音書では、再臨された主が、周囲にいる小さい者や悲しんでいる
者への配慮をした人を、神の国にふさわしいものとしてお選びになります
(マタイ25:34〜40)。目を覚ましている忠実な者は、他者への心を持っている者です。

 イエスさまのため、他者のため。このことを先送りしたくなることがあります。
 自分のことをまず大事にしなくてはならないと思うからです。
 しかし、すでに「自分の命のことや体のことで思い悩むな」と、主がはっきり
おっしゃってくだいました。その約束を受けているゆえに、私たちは主のため、
隣人のために心を配り、目を覚ました者としての生き方へ進めるのです。

 「あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が盗人の
ように、突然あなた方を襲うことはないのです。あなたがたはすべて光の子、昼の子
だからです。
…救いにあずからせるように定められたのです。」(Tテサロニケ5:4〜5、9)

 
私たちは、怯えたり、知らん顔を決め込むのではなく、恵みに目を奪われ
ながら、再臨を期待しつつ生きる者です。